サブスタ出版部編集員の山藤あるとです。
今回ご紹介する本はこちら。
『はちみつは、なぜ混ざらないのか:大きな会社のやり方が、小さな場所では機能しなかった話(混ぜる論)』
著者:クリーヴ
「混ざる」と聞くと、違うものが一つになることを想像します。
けれど、この本を読んでいると、そのイメージが少しずつ揺らいでいきます。
違うものは、同じにならなければ一緒にいられないのか。
うまく混ざらないとき、見直すべきなのは相手だけなのか。
この本を読みながら私は、「遅い」と「動きにくい」は、同じではないのかもしれない、と考えるようになりました。
はちみつから、「動きやすさ」へ
本書を読んでいて新鮮だったのは、「混ぜる」という一つの言葉から、考える範囲が自然に広がっていくことでした。
「混ざらない」という結果だけで終わらず、その手前で何が起きているのかを考えていきます。
動きやすさが違う。
力をかけている間だけ、混ざっているように見える。
そして、まだ時間が足りないのかもしれない。
ここで面白いのは、「混ざらない」という状態を、すぐに失敗と決めつけないところです。
混ざっていないからといって、どちらかが間違っているとは限らない。
そもそも動きやすさが違うのかもしれないし、外から力をかけ続けなければ保てない状態なのかもしれない。
そう考えると私には、「混ぜる」が、違いをなくして一つにすることとは少し違って見えてきました。
専門的な言葉も出てきますが、私にはそれが知識を並べるためというより、普段はぼんやり見ている関係を考え直すためのパーツのように感じられました。
同じ方向を向いていたとしても、同じように動けるとは限らない。
「遅い」ではなく、「動きにくい」かもしれない
ここで私は、朝の子どもの支度を思い出しました。
朝、学校へ行く時間が近づいているのに、なかなか準備が進まない。
こちらは急いでほしくて、「早くして」「ちゃんとして」と言ってしまいます。
「準備をしていない」のは見えています。
でも、「なぜ準備が進まないのか」までは見えていません。
私はその二つを、いつの間にか同じものとして扱っていたのかもしれない。
もちろん、だからいつまでも待てばいい、という話ではありません。
時と場合によりますし、急がなければならない朝もあります。
ただ、「遅い」と見る前に、「動きやすさが違うのかもしれない」と考える余地はある。
私はそこから、わかりあおうとする時間そのものも「混ぜる」の一部なのかもしれない、と考えました。
これは本書の結論ではなく、読んでいるうちに広がった私自身の連想です。
はちみつの「混ざりにくさ」を考えていたはずが、自分が誰かに「早くして」と言っている場面まで戻ってくる。
私には、そこがこの本のおもしろさでした。
うまく混ざらないときに、読みたい本
『はちみつは、なぜ混ざらないのか』は、「こうすれば人は動く」と答えを渡してくれる本ではありません。
むしろ、うまく混ざらないときに、いま何が起きているのかを別の角度から見直していく。
そんな思考の記録をたどる本だと感じました。
仕事でも家族でも、同じ方向を向いているはずなのに、なぜか足並みがそろわない。
自分ばかりが力をかけているように感じる。
そんなときに、『はちみつは、なぜ混ざらないのか』を開いてみてください。
「どうすれば相手を動かせるか」ではなく、「いま、ここで何が起きているのだろう」と考える入口になる本です。
大きな会社のやり方が、小さな場所では機能しなかった話(混ぜる論)』






